束縛しているもの
自分で自分を束縛してきたのは感じていた。で今日どんな時にそうなのかみえてきた。今まで気になってたことがすこしクリアになった感じ。
自分を受け入れるとき自分を主張するときどちらかというと自分を受け入れるとき私は本音で話せない。
褒められたときとか自己表現が下手だ。
人を褒めるときとかも。感謝される時も
怒る時も怒られる時も。楽い時も。辛い時も。
まようするにいつも自己表現が下手だ。
でその理由なんだけど、簡単でびっくり。人としてやってもいいことがわかってなかったつてこと。人はそれぞれ自分があってみんな違っててみんな個性を出しながらも折り合いをつけて生きていかなきゃいけない。みんな同じであるって心のどこかで思ってたらしくてそれが原因みたい。どうやら。わたしも人として生きる権利があってそれはむしろ個性として出していくべきでそれをお互いにすることでお互いを理解していく。自己表現をらしなかったから相手は何を考えているかわからず理解しあうことができなくなつたしまう。
でその自己表現のためにはその人としてできることを考えるのとあと考え方の癖に気づいて直していくことが大切。
失敗したら怒られるのが当然。思い通りにならないとイライラするのは当然。人を傷つけてはいけない。とか。
こういうのは過去の経験に基づいているんだけど怒られるのが当然はちがって叱られることはある。だしイライラするのは自分の心が変化を求めているってことで傷つけようと思わなくても傷つける事はある。その時は相手が傷ついたことを認める。なになにすべき当然。と言う極端な考え方はやめたほうがいい。これも自分の考え方の指針みたいになってて逆にこれをいい感じにかえれれば人生の指針になるし、いい決断ができるようになる。自分を縛っている考え方を変えることで。そんな風になることもあるとか考えられるようになる。基本自由でいい。
頭がフリーズするとき
思考がとまってしまうとき。それは行き詰まりを感じたとき。
物事を俯瞰的にみれてないとき。一歩下がった視点で見よう。司会者みたいに。
まあいいやって考えられるのも大事。
感情をコントロールして極度の緊張をなくすことができる。
あと目をいろいろ動かして、得る情報を増やすことも大事。
英語脳
英語を使ってる時に考えられることと日本語を使ってる時考えられることは違う気がする。
それはその言語に浸った時間に比例するものなのかもしれない。
子供の心
知らないうちに自分の心を制限してる。
前と比べてどうなのかでしか判断してない。
思い切り楽しんだりできてない気がするのは新鮮じゃないと感じているから。
あるがままを受け入れて常に新鮮な気持ちでいなければずっと思い切り何かをするっているのができない。
よくわらい元気な人がいる。こういう人はこどもの心を持っているとよく形容されるが常に新しい気持ちでいるから楽しむことができているのだと思う。
常に自分を試しているみたいな。
常に上を目指してワクワクして。そんな人に私もなりたい。
司会者
話しが上手い人は返しがうまい。
そうなんですかー。ええ?いやーでしょ。じゃあー。などまあツッコミ的な役割だ。普段の会話だとそれに乗っていくみたいな返しが好まれる。
ツッコミ注目しよ。
自分
自分のことちゃんと考えたことない。避けて来た部分。でも時間をとって考えなきゃいつまでたっても自分のことわからない。自分とどう折り合いをつけたらいいかわからない。
普段はそんな余裕なく、ふわふわしてたり、妙に神経質っぽくなったりって感じ。人生って結局芝居なんだと思うけどもともとのところからずーと気づかずに続けてることがあってそこの束縛からでることができてないと思う。
子供の頃は家族が本当に嫌いで何やっても怒られてたし、すべてちゃんとしないとダメで苦しかった。やりたいことあったと思うけどそんな時もこうすべきっていうのがあって自分の自分がこう思うというよりかはこう思うべきって教えられた。だから自分の考えっていまだにちゃんと言えない。こう返すべきってものがないとダメだ。
でも大学に落ちてこうすべきってことができなくてちょっとなんかあっもういいやってなったような気がする。でもできないことに自信をなくしてというか基本自分じゃないからあるがままでいられなくて底辺のとこでふわふわしてる。
それにたまに心の中に鬼がいる。これ学生の時に無理して頑張らなきゃいけなくて鼓舞するために自分でつくりあげたもの。こいつはいまだにたまにでてくる。
自分の考え方次第でどうにも解釈できる場面あるけど鬼のせいでなんか結構勝手に張り詰めてる。それがわたしだ。
どうなりたいか。というと無理せず穏やかに生きたい。鬼は封印して。
ふわふわしてることがよくないってやっぱり思っていてやっぱりちゃんと考えてちゃんと生きていたい。
ここのとこがいつもわかんなくなるけどちゃんとすることが鬼と共存することなのか鬼は追い出して穏やかにすることなのか。多分どちらも結果ちゃんとはすると思う。だけど鬼がいない方が絶対楽しいし、視野も狭くならないし、その分吸収できることも増えるんだろう。
鬼を追い出す方法を知りたい。
愛すること
人を愛するのが苦手と思ってきた。愛されたいと思ってしまう。頭では愛したいと思っていても行動がそうならない。それは付き合う相手のせいでもあるし自分の考え方のせいでもある。自分がしたくないから自分が好きじゃないからとかの理由で相手のために何かしてあげたりするのにめんどくさいとおもってしまったりする。それってやっぱ好きじゃないからなのかも。
好きな人と付き合いたい。本当に好きかどうかはその人にいろいろしてあげたいと思うかどうか。あとそれでその人がどういう反応をしてくれるか。してもらってるのになんか上から目線とか意味わからん。それだともうしたくなくなる。たとえ好きだと思ってたとしても一気に冷める。人の好意をなんとも思えないとか、感謝するのがうわべだけとか、そんなとこから軽いかどうかわかるんだよね。自分が愛することができる人と付き合いたい。