束縛しているもの

自分で自分を束縛してきたのは感じていた。で今日どんな時にそうなのかみえてきた。今まで気になってたことがすこしクリアになった感じ。

自分を受け入れるとき自分を主張するときどちらかというと自分を受け入れるとき私は本音で話せない。

褒められたときとか自己表現が下手だ。

人を褒めるときとかも。感謝される時も

怒る時も怒られる時も。楽い時も。辛い時も。

まようするにいつも自己表現が下手だ。

でその理由なんだけど、簡単でびっくり。人としてやってもいいことがわかってなかったつてこと。人はそれぞれ自分があってみんな違っててみんな個性を出しながらも折り合いをつけて生きていかなきゃいけない。みんな同じであるって心のどこかで思ってたらしくてそれが原因みたい。どうやら。わたしも人として生きる権利があってそれはむしろ個性として出していくべきでそれをお互いにすることでお互いを理解していく。自己表現をらしなかったから相手は何を考えているかわからず理解しあうことができなくなつたしまう。

でその自己表現のためにはその人としてできることを考えるのとあと考え方の癖に気づいて直していくことが大切。

失敗したら怒られるのが当然。思い通りにならないとイライラするのは当然。人を傷つけてはいけない。とか。

こういうのは過去の経験に基づいているんだけど怒られるのが当然はちがって叱られることはある。だしイライラするのは自分の心が変化を求めているってことで傷つけようと思わなくても傷つける事はある。その時は相手が傷ついたことを認める。なになにすべき当然。と言う極端な考え方はやめたほうがいい。これも自分の考え方の指針みたいになってて逆にこれをいい感じにかえれれば人生の指針になるし、いい決断ができるようになる。自分を縛っている考え方を変えることで。そんな風になることもあるとか考えられるようになる。基本自由でいい。